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ゴリラズ伝説

ライズ・オブ・ジ・オーガを趣味で訳しているブログ

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無題

最近、暇です

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ますます何を言っているのかわかりません。。。

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英語は苦手 すごく苦手。でも好き。
間違いとかこうした方が自然とか教えていただけると幸い。
カタツムリ更新。
思い立った時に修正します。
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『ゴリラズ』アメリカにてリリース

信頼のおける記録上、アメリカの支援者達のおかげで、ゴリラズのアメリカでの関心は確かな数になっていたが、これ程激しく反応するとは誰も予測できなかった。

ラッセル: レーベルと打ち合わせるために向かったアメリカの背後ではCDがリリースされる大分前、俺たちがどうやってこの計画を走らせたかったかちょっと試して説明してみた。たくさんのひと達に向けて、結果がすぐ出るものではないことに対して、俺たちが行く道だからな。

マードック: まじか? 心を掴むのになにがそんなに難しいんだ?

いざという時には、この新たなイギリスのアクションである『ゴリラズ』が、CDの販売枚数をおよそ25,000枚に変更するというのは、アメリカの「ヴァージン」というレーベル独自の考えである。

ラッセル: 現地へ行って直接顔を合わせて感じていることを説明したんだ。マードックは極めて直接的だったのを覚えているよ。怒鳴って椅子を蹴っ飛ばして顔を殴って。マードックの演説が激しかったもんで、アルバムの販売計画は25,000枚から50,000枚になり、俺たちがCDをリリースする直前には彼らが店への出荷を決定した枚数は75,000枚になっていた。

マードック(皮肉っぽく): 奴らが持っていた展望には…すごく励まされたよ。預言者と働くみたいだった。ああ、75,000枚。まじでか? すごいじゃないか! 奴らを突っつく時はいつも、25,000枚ずつ上がった。だがそれでもまだ足りなかったんだ。

ラッセル: みんながみんなそれと同じくらい成功するだろうと本当に思っていたとは思わないさ。アメリカでCDが販売される前の週に、アメリカの青年に「十分なアルバムを用意したって、本当か?」と電話をしたのを覚えてるし、彼は俺にこう言ったのを覚えてる。「ええ。全て順調ですよ、ホブスさん。梱包を完了しました」。そうして起こったことは、アルバムがリリースされた最初の週に、ゴリラズの在庫が尽きたということだった。

マードック(ぎょろぎょろして): そうだ! 俺はイギリスから飛んで、アメリカへ行き、空っぽの倉庫にその男をみつけて、「そう言ったじゃないですか」という奴の前にただサインを掲げるしかなかった。

ラッセル: でも俺はアメリカだけで最初の週に150,000から200,000枚くらい売れたはずだと思うよ。そしてレーベルはこんなだった、「これは夜逃げするつもりだな!」

マードック: 全てのCD会社が重力を再発見する、頭に落ちて来るりんごの音。「エウレカ」は風呂の外に落ちる水の音として聞き、車輪は丘を転がり落ちる。ヘッドラインには「真実はすぐ目の前にある」と書かれた。真面目な話、ガキに指を電子ソケットに乗せずに教えるみたいだ。「俺は何度も言ったろ!!!」

2D: だから本当にすごいことなんだよ。

2001年6月19日 『ゴリラズ』アメリカにてリリース

ビートルズの追憶の場面で、家族が一晩ニューヨークのCD屋の外でキャンプするというものがあった。子ども達は棚から離れてホースで水をかけられなければならなかった。暴動を抑えるために警察はウォルマートに呼ばれ、スーパー・デニーズ・クラッピー・リトル・レコード・スクワットにて争いが勃発した。それは草むらの火事のようで、ゴリラズは中心で、より明るい、まさに燃料でほとばしっていた。

NYPDの警官、サージェント・ジム・イグナトウスキー: 我々は山ほどの熱中症の少年の相手をしなければならかなった。道端で倒れる少年が大勢いたんだ。彼らはサインの列に並んでいる間ゴリラズの衣装を着ており、明らかに熱を上げていた。

ある子どもは目に見えてCDケースを見ただけで燃え上がった。このCDに伴う評価は、えー…等しく活気づいていた。

2001年9月27日、ローリングストーンはそのデビューを「ヒップホップとエレクトロニカ、ロックとダブのミックスが、この夏のビルボード・チャートに上る最も風変わりなアルバムのひとつ…嬉々として心に残りやすいポップソングを引き立たせている」と評し、ゴリラズを「アートポップをひねり潰すタイプの…組み立てられた、カートゥーンの、アンチ・アイドル」と呼んだ。

その年の1枚のアルバム、その音楽にちなんで名付けられたスピンは、ゴリラズは「アーチーズよりもかっこよく、バナナ・スプリッツよりもイカしていて、そう、D12以来、最高のカートゥーン・ポップ・プレーヤー」だったと発表した。彼らはその年最高の新しいバンド・ゴリラズを、ゴリラズが言うことには「バックパッカーの色鮮やかなコラージュのヒップホップと、ブリッドポップのバラッド、ジャマイカのダブ」を作り続けた。

空白のページはこう投げかける。「弁当箱の中で爆発した音楽の手榴弾のようだ。」

興奮した雑誌は「ゴリラズのデビュー程革新的で興味深いアルバムが現れることは滅多にない」と熱狂した。

マードックは心から同意した。

マードック: ゴリラズのデビュー程革新的で興味深いアルバムが現れることは滅多にない。

ヴィレッジ・ヴォイスだけは要点を失ったようで、2001年7月10日のその紙面で次のように述べている。「1年以内に全ての企画がロンドンの懐かしいただの一時的な音楽に終結するかもしれないし…彼らは初めての土地で価値のあるものになったことだけではその価値と対等にはなっていかないだろうが、破壊活動が目的の男女のグループを含む日々のたくさんのバンドにとってはその価値に値するんだろう」

マードック: ああ、それでドクター・ヴォーツェルは今誰かのタイプライターを盗んでいるんだな。「初めての土地で価値のあるものになったことだけでは対等ではない?」 何のことを言ってるんだ?

しかし、ヴィレッジ・ヴォイス以外にも、ゴリラズ・バンドは波乱を起こしているようだった。

ラッセル: 彼らはただ俺らが行きたかった道の全容を理解しただけだと思う。アメリカで火が付くのはめちゃくちゃ早かった。つまり、それは「本当に」燃え上がったんた。ゴリラズの全てのために電話が鳴りっ放しだった。彼らは俺たちが与えられるものをできるだけ多く欲しがった。

マードック: ラッセル、お前が探している単語は「爆発」だ。

楽曲のリミックスの申し出は、金の生るゴリラズを探し出すレッドマンからブロンスキ・ビートまで全て、ゴリラズのところまで溢れ始めた。ノベルティの草分けの最前線では、ゴリラズに広告の依頼か、あるいは飲み物や腕時計、タンク、かんじきから、エッグタイマーやハリー・ヒル、バズーカ、潜水の留め具まで、日を浴びる全ての製品に名前を載せてくれるよう依頼した。他にはない魅力的なこのグループにとって、おかしい、不相応である、と思われることはまるでないようだった。さりげなく、しかし大変断固として、これらの申し出は断られた。

マードック: 一度ブロンスキ・ビートのひとりの顔にランプの柄を投げつけてやったぞ。でも音楽は何もなかった。ただ奴らが叫ぶ音が鳴っただけだったな。読んでみたら、奴らは俺の次にカバーする使えない歌やくだらないことについての動揺を語ってた。で、俺は拾い上げたのさ、この肩肉と…ぴしゃり! ノックアウトだ。

2D: みんなまじでゴリラズのバナナに行ったよ。

大きなラッセル: ニューヨークのタイムズ・スクエアに俺たちの顔の30フィートくらいのポスターの看板(バナー)が貼られてたんだ。多分全く地元のものじゃないとちょっと気付くんだろうな。俺たちは最初の週、3,000…4,000のラジオ局に喋らなければならなかった。電話は熱烈だったよ。

マードック: アメリカのラジオは変わってるぜ。人間にとって全く異常なカトゥーンに電話で喋り負かすという考えを俺は思い付きもしねぇ。奴らは全ての種類のスタッフを愛していた。俺は電話を取り、生放送ででっちあげを話し始め、局全体を爆笑させた。時々、奴らは笑い過ぎて、番組を途中で切り上げなけりゃならなかった。

ラッセル: 俺たちはアメリカでたくさんのラジオスタッフをした。イギリスでもいくつかしたが、アメリカでは彼らは本当に俺たちと話をしたがった。世界中のリアクションは場所場所によって変わるんだ。ドイツではバンドとしてのゴリラズは全く受け入れられなかったが、楽曲は本当に人気だった。そして動画も。だけどアメリカときたらおい!! 全部を受け入れやがった。

マードック: 俺の手はサインをしただけで、エア遊具みてぇに膨らんだぜ。

アメリカ側では、間違いなく素晴らしいコラボ相手に比較的受け入れられることのない彼ら自身の権利において、ゴリラズはエンターテインメントの新しい形として見られた。バンドは、どこからともなく爆発した、超人的な音楽の力のようだった。

配線を切られていなければ、アメリカの総体的な話は10トンもの重さで床を打っただろう。

2001年6月25日 アメリカのチャート入りしたアルバム『ゴリラズ』、最高14位

この全てが驚くべきものだったが、本当に正しく素晴らしいのは、ゴリラズがアメリカでひとつの生ライブも無しにこの全てを成し遂げたということだ。このことは、とあるバンドが無益で果てしない打撃の年月とあらゆる僻地で演奏することとアメリカが用意できるトイレの場所をもって、アメリカを壊すことができるだけの全ての神話を吹き飛ばした。

ゴリラズはこれらの全てをクリアした。デビューアルバムは世界中で600万枚を超えて売れ続けている。

マードック: んんんんろっぴゃく…まぁぁぁん。めちゃくちゃすげぇことじゃねぇか?

マードックが国際的な優れたスターの地位に、自分の権利を守っていたように見える。新しく獲得した鮫肌の日程表は、アリス・クーパーとイギー・ポップとゴルフをする招待でいっぱいだった。同時にだ。しかし19番ホールは待ってくれるだろうね。ゴリラズは新しいシングルを出したのだから。おい! ストーリーボードが描かれ、それに使った鉛筆を削るミスター・ヒューレットよ。


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パリ公演とダブリン公演

2001年6月22日 フランスはパリ、ラ・シガール

アルバムが出て、レビューがあふれ出ると、ゴリラズは3月に初めてスカラでライブを行って以来、多くの海外ライブの予定を入れた。

ラッセル: パリに着くまでに俺は馬を1頭食べられるくらいめちゃくちゃ腹が減っていた。

マードック: 運よく馬肉が超簡単に手に入るフランスに転がりこんだんだよな、ラス。ボンジュール、パリ!

世界初のヴァーチャルバンドはその夜、パリのピガール地区の赤いライトの中の、落ち着いて華麗なラ・シガールで1,500人の人々に演奏すること、その間同時にウェブ上に集まった人々に向けてライブを提供すること、有史初のヴァーチャルのグラストンベリー・フェスティバルがヘッドラインになることを、大成功のうちにやり遂げた。許可の条件を破棄するための地元の評議会によって、取りまとめ達が訴えられた後の年、本当のことは取り消された。ネット上のフェスティバルの移り変わりは、どこに行っても大麻喫煙者のヒッピーとトイレットペーパーの売人へのニュースに失望していたが、金曜の夜の、ゴリラズへの理想のヘッドライン・パフォーマンスは、世界中の観覧者を引き寄せた。

ラッセル: ゴリラズへの反応が地域でどう変わるかが面白いんだ。イギリスでは音楽は好かれたがライブについてはいまいちだった。アメリカでは音楽も好かれたし俺たちの存在の表現方法もすぐさま理解された。フランスではライブが好まれたな。

マードック: どこでだって俺は愛されたさ、ラッセル。至る所でな。

2001年6月24日 アイルランドはダブリン、オリンピア

マードック: 全く覚えてねぇや。

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3月、ゴリラズ行進中

「クリント・イーストウッド」騒ぎの裏でアルバムがチャートの上位に上ると、ブリティッシュ・プレスは一発屋のようにゴリラズをもてはやし始めた。あるいは、彼らのしたことは取り調べに近い詰問をする策略だったかもしれない。

ブリティッシュ・プレスは今日まで続く興奮と分析の興味深い連鎖を引き起こした。

マードック: おい! ラッセル。今までに食った一番でかい飯はなんだ?

ラッセル: あー…うん…あー…

ちょっと考えるだけでは恐らく、総合的な印象は、ゴリラズのアルバムは異常なクオリティであるということだった。広範囲に渡る影響に感心している間にも、初めてで実験的な方法でコラボするために、ゴリラズが自らを認めた人々に売り込んだ独特の方法は、一般的にも受け入れられた。

タイムズは、5つ星中、4つ星をあげた。「とがったビート、催眠的なローファイ・ダブ、そしてヒップホップのサウンドが、おもしろいだけでなく、同じくらい工夫を凝らしたひとつのアルバムを創り出している。機知と才能と想像力をもって実行されている。」

サンデー・テレグラフは以下のようにコメントしている。「もしハッピーになれる大量のドラッグを盛り込むなら、彼らが『ゾンビ・ヒップホップ』と呼ぶそれは、マッシヴ・アタックが鳴らしたかもしれないラップ、スカ、ポップ、ダブの自由で、掴みやすい、幅広いミックスをとてもよく捕えている」

ガーディアンは、ゴリラズは「はちゃめちゃな古いアメリカの電子音、イギリスのパンク、ワールドミュージック、スライ&ロビー」であると書き留めた。また新聞では「ゴリラズを愛せないにしても、好きにならずにはいられない。」と続けた。

とりわけ、ゴリラズは「新たな黄金時代でも特別なもの」として喜んで迎えられた。ミュージック・ウィーク誌はその週のスポットの羨望のアルバム賞を与え、モジョ誌は素晴らしい評価を与えて「エレクトリックでアップビートで、実のところとても良い」と締めくくった。

マードック: 「実のところ」? 「実のところ」ってなんだ? どんな時もこういった限定的な言葉はくだらねぇだけだ。抑圧から逃れて俺の愛する日光を浴びに来いよ。恐れるものなど何もない。

「輝かし」かったり「魅力的」だったりする言葉とともに、溢れんばかりの評価もあった。私はそれらに「大いに夢中にさせる」ものを目にしました。

マードック: 本当か? 俺はその頃ほとんど毎日「天才」「驚くべきもの」「俺が今まで見てきた中で最大級のてんこ盛り」という言葉を使ったぞ。

その賞賛にも関わらず、提供する音楽の認知度がその称賛を超えるのに十分高い水準に達する間、多くの評価者は、ゴリラズの「コンセプト」がうんざりさせる能力を持つという批評と共に、掛け値をいまだにはぐらかしている。

事実は、相容れない2つの側面である。自意識過剰を抑制し、成し遂げられる結果を生む、より創造的になるためのコラボする相手を認めてゴリラズが自らを売り込むことは独特の手法である。

マードック: びっくりだぜ! 「シニカル」、つまりは「市場戦略」。ただのくだらねぇでかいお荷物だ。全てのバンドは市場に出され、創り出され、考え出されている…さもなければ粗悪なガラクタとしてただ浮上するだけだ。お前らはただメーカーの質を確認するだけでいいんだがな。真剣に。俺たちはそれに出来得る100%良い出来だと思わないものは絶対に世に出さねぇ。

ラッセル: 俺たちが子どもの頃に見上げていた素晴らしく見えるバンド、素晴らしく聞こえるバンド…裏切らないアーティストの壁に俺たちが掲げるバンドに対して持てる情熱によって、非常に多くの作品が生まれ出た。俺たちが次世代にそれらにとって活気のある、貴重な何か、熱中できる何かを与えていると思えることと、それが今も続いているということは、俺たちにとってクリアするために重要だった。ゴリラズは愛の結晶だった。

2D: 実はちょっとだけ俺おかしくなっちゃったよ。俺って作り物として生まれたの? それとも作り物になっちゃったのかな?

ゴリラズのデビューに関する評価の多くは、コラボした人々の経歴に前後してのアルバムについて書かれており、しばしばバンド自身の才能と提供物は見落とされていた。

ラッセル: どうやらデーモン・アルバーンの保証が俺たちに全ての道の扉を開いたようだな。だけど別の仕事と一緒に関係付けたら、彼にとっては外に見せる多くの役割から一時避難するための機会になる、俺たちとの共同体のようなものになったんだと、俺は思うね。

マードック: 違うな。奴は関係者であって決してメンバーではない。客でもない。とにかく、実際は「俺の」外向けの顔を制作するのに図々しい機会だった。ただゴリラズの4人のメンバーがいた。えー… 俺と、ラッセルと、ヌードルと、それからええと…なんて言ったかな。それと、ぶっちゃけて言うと、俺は奴らに対していくらか疑いを持ってる。

マードックは手に持った合成飲料を音を立ててすする。

マードック: もうひとつ教えてやろう。懐かしさを盛って話すために、奴らがばかなことを長々と繰り返しているところで「20分前の出来事を思い出す」番組のひとつを観ていた頃のことだ。俺は「俺たちがしていることをするために、みんなくたばっちまえ」という考えを思い出した。昔の番組の再放送にコメントしている奴らと一緒に、彼らが今していることの全部が番組を作ってるなら、どうやって新しい懐古ドラマを作るんだ? 俺たちがやってくるまでこの国は井戸の底で動けないでいたのさ。

あるステージで雑誌は、自分たちのゴリラズ誌のいくつかを請け負った、アルバムの共同制作者と映像ディレクターとしてのそれぞれのやり方でとても興奮したデーモン・アルバーンとジェイミー・ヒューレットをふたりとも捕まえた。

マードック: いっつもいいところにいて得点をかっさらっていく奴ら。俺がテレビに映っている時はいつもそのふたりも映ってるんだ。とうとうテレビを窓の外にぶん投げなきゃならなかった。

新聞とメディアが胸中でかけ引きしていたかもしれない間、ゴリラズのファンは何の予定も持たなかった。このアルバムは、支援者とコラボ相手の互いに、そして全員に、棚から飛び降り今までそれぞれが経験してきたなによりも偉大な成功をもたらした。

ラッセル: 子どもにはわかるんだ。俺は子どもこそ本当にわかってると思うね。それに、俺にとって、俺たちにとって、それは大切なことなんだ。俺たちが創造する世界、俺たちがなにかを変えようとした段階は、他のどんな音楽活動とも同じくらいに大切だ。この活動がひとつのバンドから成り立っていること、ただそれだけ。だが、俺たちがインスパイアされたものは、ただ大きなものとしてだ。

2D: 多くのバンドが、かっこよく見えるように自身を表現するためにイメージを創る。ゴリラズはあるイメージみたいに創った、すっごくかっこいいものなんだ。俺達の活動の理由だよ。

ラッセル: 俺たちはその頃、かなりたくさんのインタビューを受けなければならなかった。音楽に集中している間は誰かが書いてくれればいいのにとちょっと思ったもんだ。でもそれは間違ってるからな、自分たちでちゃんと受けたよ…

おかしな考えの一方で、その頃は広く出かけて演奏した。

マードックは素早くユーロスターのチケットを4枚購入し、サンドイッチ2セットとホットコーヒーの魔法瓶を荷造りして、ゴリラズはフランスへ「イギリス海峡を越えて」向かった。ウーララ!


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ナイト・オブ・ザ・リビングデッド: ロンドン・スカラ

マードック: なぁ、俺たちが「クリント・イーストウッド」のPVで戦端を開いたとはわかっていたが、本物のバンドか? 他のみんなはライブに出るだけでいいんだ。俺たちもそこに出て行かなくちゃならないし、証明しなくちゃならねぇってことはわかっていた。カムデン・ブラウンハウスの演奏もひとつだが、俺たちは生きて息をしている観客の前で、筋肉を動かして、俺たちの「ロック」への憧憬を集める必要があった。

従って、2001年の2月のレースには、コングからこっちバンドに休息を与え、ステージ用に仮面を使う用意をし、また、優待招待客にライブの初公演の優先鑑賞をしてもらうためにも、ロンドンはホロウェイ・ロード区にあるデポ・スタジオに1ヶ月間のリハーサルの予約をした。「俺たちはお偉い評論家の前にふんぞり返ってただけじゃないぜ」。

2001年2月27日 デポにて初リハーサル

複雑なステージショーは、背後でゴリラズの4人が演奏し、それを純白のシーツの上に投影するという独特なデザインのビジュアルとグラフィックで工夫された。その意図は、不吉な作り物の姿を投じる表現豊かなシルエットとなったゴリラズに見ることになった。

マードック: ああああ…幽霊バンド!

ヌードル: 私たちがスクリーンの裏で影と輪郭を映している間、みんなパブリックイメージがどうなるかってことに好奇心でいっぱいだったし、私たちはパブリック・イメージ・リミテッドの80年代初頭のニューヨークのパフォーマンスのオマージュだなと思ってスクリーン上の投影を見てた。

フルカラーアニメはいまだにすっかり彼らのシルエットで見られている。

マードックは、ドルチェスターでのデスティニーズ・チャイルドのランチパーティを加えた、ブリクストンでのミッシー・エリオットのパーティも含む、首都周辺の様々な来賓名簿を強奪するために、夕方2Dと時間を作ったロンドンでのリハーサルの強みを最大限に使った。

マードックは新しい名声で金を稼ごうと目論んでいた。

マードック: 俺は35年間サインの練習をしてきたもんで、上手く目立つように書けるぜ。すごくなめらかだろ? そして今では人々は、俺が考える「オーケー、お前たち。俺は偉大な魔法のしるしを掴むだけだ」という俺を認識し始めた。

それからマードックは、強大な洗濯婦の商業チームを連れてきて洗いたくなるような、とても汚い笑い声を発した。

2D: 開いているドアのどこにだって行けた。そんなおもしろさだ。みんな俺が来るのを見たら締め出したものだったのに。

2001年3月22日 ゴリラズはロンドンはキングス・クロス・スカラにて演奏する

全てにおいていまだにメディアの大きなドッキリかもしれないという慎重な疑いを浴びせたとは言え、「クリント・イーストウッド」はチャートの上位にランクしており、一般受けはゴリラズの方に傾いていて、もしルックスで採用されたのなら面汚しな観客から価値など得られなかった、ホクストンの酔っ払いの一団によって最後まで演奏された。

その上、シングル曲とPVでかなりの喝采を集めていたことは、他の地域の批判に対して広く開かれた。

マードック: ああ、太陽の届かないところのものなら全て突き刺せるんだぜ。ギミックである俺たちを非難するってことは、「ちょっとしたメサイアコンプレックス」を持っているキリストを非難することに少し似てるな。多分マジだが、俺たちが見せた間違いない才能を目の当たりにしても、本当にまだ問題があるのか?

スーパーモデルのヘレナ・クリステンセンやサディとジュード、ザ「アント-オア-デック」、クラッシュのポール・シムノン、そしてテレビのお気に入りのぼさぼさ頭のゴブスミス、「ジョナサン・ロス」らも含む多くの注目を集める出席者のために、ライブは開催された。

マードック: 多くの有名人が降りてきて、演奏中の若き神を覗き見ようとした。だが俺たちはスクリーンの裏だったろ? だから俺のケツの影にキスできるぜ、「ミスター・ジョナサン・ロス」。

ラッセル: 実際にミスター・ロスはある日からいつもゴリラズに協力的だったから、そこに彼がいたことはいいことだった。

マードックはたじろいで一呼吸してから以下の通り加えた。

マードック: 教えてといてやるが、俺はP.I.L.が好きでも、そのスクリーンで俺の道を切り開いただけだし、ひどい観客の顔面にもろに俺の太く毛深い「ベース」を押しつけただけだ。それは奴等を完全に黙らせた。

家の照明が落とされた時、マードックはひと組の黒人の美女に素早くキスをした。バンドは「M1 A1」の前奏を切り裂いて、デビューアルバムの150デシベルの演奏を最後のひとしずくまで続行した。それは、正面の机に精神の全てが囚われている酷く酩酊状態のブライアン・イーノとディーヴォによって、ラバダブ風に演奏されたザ・フーの「ライブ・アット・リーズ」のようだった。

マードック: 本当か? …その録音ってもらえるか?

会場の受け付けは大騒ぎだったが、バンドの楽屋はとても落ち着いていた。それは、ゴリラズの技能をフルに発揮するため、スタジオの外に彼らを連れ出すため、メインステージへ上げるために、たくさんの素晴らしい偉業が彼らの前に待ち受けていることを示した。

マードック: 実際、くだらなくもあったんだ。個人的には俺たちはその晩、襲撃者を演じたと考えていた。俺は丸1週間寝ずにどんなにかゴリラズが素晴らしかったかを俺が目の当たりにしたかをみんなに教えて祝った。

2D: 翌日、ある雑誌に、「2D:『テナガザル』大きなそれ」と書かれて俺の写真が載ってた。一体全体、どういう意味なの?

マードック: ああ…あー、実際それはかなりいいな。ゴリラズ:「テナガザル」大きなそれ。俺にはそこでしたことがわかったぜ。

2D: わかんない。

スウィーティ・アイリ―とミドル・ロウの一味が聴衆に投げた20ポンド紙幣の土砂降りの下、イギリスでヒットした彼らによる「クリント・イーストウッド」のガレージ・ミックスのパフォーマンスと共にその夜は終わった。

全てが全て、ファーストライブにして悪くなかった。翌日の新聞はやや太っ腹であった。

NMEが「彼らの一番の働きは、スーパースターのエゴの否認の成功例である」と推測している間、ザ・タイムズは「冷たく情操教育を妨げる品質」を持つこの演奏を非難し、このボーカルは「へたくそでおかしな裏声」で歌ったと書き留めた。

ガーディアンは、ゴリラズはデーモンの豊富な経験となるちょっとした悪ふざけだったと示唆した。

インデペンデント・オン・サンデーの記者の、ある丸々と太って胸を張った、ピエロのような髪型の変わり者は、ゴリラズを「詐欺未遂」と呼び、「2003年のある日、アルバーンは目覚めると、不本意にも恥ずかしい記憶に胎児のように体を折り曲げた」と示唆してデーモン・アルバーンに対して特に酷く攻撃した。

身内だけで演出された初めてのフルのライブのへのそのような攻撃は、恐らくやや強かった。

マードック: おかしなことに、それ以来、彼のゴシップコラムがしぼんでいく間に腹の出た無能が今のサイズにまで膨らんだ。恐らく奴は実際に自らの言葉を飲み込んだんだろう。

2001年3月26日 ゴリラズのデビューアルバムがリリース

マードックの4日間に渡るライブ後の打ち上げは、ストークの分別ある若者の感情が入り混じった日だった。ゴリラズのアルバムは全国的に発売されたが、悪い面では移動式売春宿であるマードックの大切なウィネベーゴがコングスタジオの駐車場から盗まれた。

マードック: それで、販売戦略として、いくつかの輝かしいCD屋がアルバムに無料の鍵をつけようとひらめいた。鍵を受け取った者は俺のウィネベーゴを開けられるんだ。「俺の」忌々しいウィネベーゴ。予想通り、それは30分以内になくなった。消えた。そんで聞いてくれるか? 俺は盗んだのは変人のドクター・ヴォーツェルだと考えてる。

なるほど。ドクター・ヴォーツェルとは?

マードック: 頭にくるぜ。奴はゴリラズに対して何もしていないにも関わらず、俺たちがバンドを始めてからずっとクソだ。奴のことはドクターだということとヴォーツェルだということ以上に詳しくは知らない。奴に従うネットオタクの軍隊を持っている。奴が俺のウィネベーゴを盗んだ時、ちっぽけなオタクたち全員が、コングスタジオじゃないどこかで俺のウィネベーゴを運転しているヴォーツェルの写真を投稿した。ビッグベンのてっぺん、デス・スターの上、ケントの湖の中、忌々しいケーキの中で焼かれて…神よ。本当にイライラする。「俺の」ウィネベーゴ!

「マードックのウィネベーゴ捜索」は、ゴリラズのサイトに毎日更新される、新鮮でエスカレートする、さらに奇妙な注目の的と共に、ゴリラズのネット上のファン達を通してウイルスのようにさっと熱狂を拡めた。ドクター・ヴォーツェルもまたそれ以降、ゴリラズの初撮りの「ゴースト・トレイン」を密輸し、当初のギタリスト、ポーラ・クラッカーがいる頃のゴリラズの初期のメンバーの画像をインターネットに流していると噂された。彼はその両方を、盗んだウィネベーゴからみつけたのだ。

マードック: このレコードレーベルがアルバムにつけて鍵をプレゼントしなけりゃこんなことは起こらなかったんだ。つまり、くそっ! 真面目な話、どんだけ厚みがあんだよ? 車の鍵をセットにしてプレゼントするってのは。エルトン・ジョンでそのくそみたいなセットを引いてみろよ、お前よ。お前が当たるのはどれくらいか見てみろって。

マードックはひと息つき、移動式の家を失ったことについてまだ腹を立てている。

マードック: 実際、それは本当に、あっという間に俺を怒らせるのには大成功だった。既にドラッグストアでカフェインのタブレットの大袋を買って、古いウィネベーゴを使って、イギリスを縦横するツアーをして、全てのシングルが「チャートに返り咲く」可能な限りの店に赴く計画を朝6時から立てていた。ひとたび古い移動式の家が盗まれ、そして…俺はタクシーを使わなけりゃならなかった。

マードック・ニカルスは借用証書の書き損じが尽きる前に、なんとかして自身のアルバムを少なくとも17,500枚は買おうとした。しかし、まだその作業を続けている。

2001年4月1日 ゴリラズのアルバムがイギリスのチャートにランクイン

ゴリラズのデビューアルバムはイギリスのチャートの3位にランクインし、ゴリラズを過たずスターにした。アルバムチャートですって!? それはガンズ・アンド・ローゼスとサバスのような大きく確実なバンドが成し得たタイプの事柄だ。今、ゴリラズが彼らのランキングの中に仲間入りした。

ラッセル: これからは音楽が少なく多くのインタビューを受けるということをやめる。だが俺たちは求め続ける…誰が文句を言える?それが俺たちの今の転がり方なんだ。

マードック: 違うな友よ。お前は実際に丸いからな。それは「お前の」今の転がり方だ。


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