ゴリラズが生活しているばかばかしく素晴らしいウィリー・ウォンカ様式の大聖堂、コングスタジオの歴史に今触れるのはいい頃合かもしれない。
一体どうやってマードックはこのような壮大な、使われていない常識外れの宮殿を、ゴリラズがシングルすら発売していないうちに手に入れたのか?? んー?! まぁいいからいいから、今こそ彼自身の口から、さぁ!
マードック: ちょいとその伝説はしまっといて、何が起こったか教えてやろう。俺はある夜遅くにふと思い立って、インターネット上を捜し回った。その時俺は冷え切ったワンルームで生活してた。暖房が壊れてて、確か…「ドッジィ・ボイラーズ」っつぅサイトを探していた。んあぁぁ…とにかく、俺は「巨大な使われなくなり呪われたどこにもないスタジオ.com」って名前のそのサイトに行き着いた。
そこのオーナーは、冬の間その場所を管理するために、閑散期の間の「管理人」を探していた。そいつらは広告上では6ヶ月後に戻ると言っているが、俺はそいつらがそんな「いい」場所を放棄しようとしているように感じた。たったひとりだけの志願者…俺だけの面接に出席した際、そいつらは俺に鍵の束を投げて寄越し、叫びながら丘を下りて逃げていった。
俺はただその場所を見てこう思った、「やったぜ! 我が家だ! お前はここで好きなだけ騒音を奏でられるぜ!」ってな。
初めのうちはその場所を、ゴリラズをまとめ上げるスタジオの本拠地として使っていたが、やがて俺たちのホームになり、本部になり、また、俺たちとファンとの「オンラインの入り口」にもなった。ゴリラズのキャリアの非常に早い時点から、人々をこの入口にアクセスさせた。コングスタジオで何が起こっているのか、ゴリラズ.comからチェックできるよう全ての部屋にカメラを取り付けた。
ゴリラズ.comというそのサイトは、信じられないほどウケが良く、その斬新さと、ファンとの新しい交流の取り方が多くの賞を勝ち取った。オープンから今日まで、ゴリラズのサイトは、レコードレーベルの他のバンドの行動を合計したものよりも、多くのアクセスがあった。
ヌードル: 私たちはこの場所をゲームやおもちゃ、ビデオ、たくさんの影響力をもつ要素でいっぱいにした。お客さんとサイトに来てくれたひとが、お互いに会話できるところに掲示板を作った。テクノロジーにまかせて、創造的で全てを包容するようにしてみた。オリジナルのバージョンからミキシングするのを人々にまかせて、私たちの楽曲のテープやサンプルをそこら辺に散らかしておくことすらしたし。
2D: そうそう、めっちゃよかったよね、でも俺、たくさんのひとが俺の部屋に入って道具を触ったりできちゃうのがちょっとヤだった。実はちょっと気持ち悪かったんだよね。
2005年6月1日から2006年6月1日までの1年間で、サイトのページとゲームに8200万越えのアクセスがあり、2006年6月、ゴリラズはウェビー賞を獲った。
マードック: 自分の家がオスカー賞を獲ったみたいなもんだな。
ラッセル: ありとあらゆるゴリラズの側面が、ここコングとゴリラズ.comの記録であり実録だ。俺たちの最初の動画をオンラインにアップすることを、全てのインフォメーションにメールして、サイトから音楽界の競争に繰り出した…この先ずっとな。
この新しい区切りへと日々成長を続けている不思議で奇妙な建物は、絶えず増設されているが、暗い過去と無料の所有権は、ヌードルが丘の上の呪われた場所に真実を見つけたある夜まで、謎のままだった。
コングの奥底で、ヌードルは資料室をみつけた。そこで彼女は、遠い過去を引き延ばした、多彩な歴史と共にある建造物、コングスタジオの、恐ろしい伝説を知ったのだった。
元々その敷地はドルイドの集会場所だったのだが、建物の構造上で最優先になっているものは、闇の力と忌まわしいレイラインが一直線に繋がるために、とりわけ特別だった。「幽霊結社」の様々なメンバー達は、間に合わせの大釜に向かって声無く唱えながら、月の周期と蒸気の流れよりそこと確信している地点、エセックスの丘の上の遺跡に集まっていた。
最初の「コン(Khong)」は、古く廃れた共同墓地のてっぺんに、真っ直ぐ立っていた。1665年のペストの流行で亡くなった多くのひとがそこ、浅い墓穴と埋葬の穴に投げ捨て捨てられた。なんてことだ!
今日もそびえているコン邸は、退廃的快楽主義者の酷く残忍な男、エメリック・コン卿の住まいとして1749年に建てられた。彼は、「キング・コン・クラブ」の堕落した嗜虐的な会合の主催者だった。多くの肉体的な願望を満足させると、彼と彼を支持するクラブのメンバーはぶらぶら夜更けまで雑談に花を咲かせた。彼の霊は未だに早朝のコングキッチンを、忘れられなくなるような声音で1杯の水を求めさまよっていると言われている。
現在のこの建物はまた、イングランドで2番目に大きなごみの埋め立て地に建っていた。ごみとは単なる冷蔵庫でも洗濯機でもトラクターのタイヤのことでもない。古いおむつや人工肛門用の袋、狂牛病の牛、宇宙人の腐った胴体について言っているのだ。気温の上がる夏の半ば、その穴から地面を通してにじみ出る悪臭は信じられない! 糞か何かを調理しているかのようだ。
ゴリラズより前の、一番最近のオーナーは、バイク乗りのギャングが「放浪者」と呼んでいるヘルズ・エンジェルズというマフィアの一味で、その建物をクラブハウスとして使っていた。1993年のある夜、彼らは大きなパーティを開き、ミッドランド全域からヘルズ・エンジェルズのメンバーを招待した。地下の3番格納庫を埋め尽くしたライダーは、地元の警察のボスがざっと数えて2000人近かった。しかしながら、興奮剤を飲んでハイになった何人かが泥酔してきた時、火事が起こった。誰かが主要なドアに鍵をかけていたため、誰ひとり逃げられなかった。
マードック: 彼らはみんなカリカリに焼けちまったってわけさ!
コングスタジオが満載の死の要素と悪業、病魔の気配で満ち満ちており、長らく空き家のままだったことは不思議ではない。
歳は取っていたものの駆け出しのロックスター、マードック・ニカルスが鍵を手にしたのが1998年9月のことであり、また、ゴリラズとコングが永遠の契りを交わしたのもその日からだった。「特売!」
マードック: コングスタジオは人間に対して変わったことをすることができた。不思議や、科学で説明できないことや、不平分子、そして俺を引き寄せる磁石みたいなもんだ。それは中に入る者全てに効力があった。まじでその土地を調べてみてくれよ。異常なもんしかねぇからよ。ある夜なんかレニー・クラヴィッツが姿を現し、ゲイのシロクマの目の前で自分の金玉を休ませてたらしいぜ。
「是非チェックしてね」
マードック: 俺はこの家が大好きなんだ。この家は値引きされたバラット社の家か何かみたいな、バットマンの街にしてくれる。しかも、ここいらの天気はいつも少し気味が悪いんだ。いっつも。
ヌードル: そしてゴリラズの全ての生活の大部分はコングスタジオの外に披露されることになった。それは私たちの暮らしのとても重要な部分だった。時には、その建物は逃げることができないんだって思えた…
しかしこれ以上はまたあとで。メインのお話に戻りましょう。どこまで話したんでしたっけ。ああそう、ゴリラズがファーストアルバムを出すことについて…
メモ --------------------------------------------
dodgy boilers : いかさまボイラー
Webby Artist : Webby Awards、ウェビー賞、ウェブサイトに贈られる賞で、インターネットのアカデミー賞とも目されている
Oscar : Academy Awardsのこと。映画賞のひとつ
Khong : 最初はコングは「Kong」ではなく「Khong」だった。読みは「コン」
the Great Plague of 1665 : おおむね1664~1666年にロンドンでペストが猛威を振るった。the Great Plague of London
Hell's Angels : アメリカのバイクのギャング。マフィア
Lenny Kravits : アメリカのシンガーソングライター、ミュージシャン、俳優
gaff : アイルランドのスラングで「家」のこと。gaffは魚鉤
Barratt home : Barratt Homesはイギリスの住宅建築業者
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